Domaine Hubert Lamy

ドメーヌ・ユベール・ラミー

フランス:ブルゴーニュ

 
 先代のユベール氏は、彼の父親であるジャン・ラミーの元で働き、1973年に自らドメーヌ・ユベール・ラミーを立ち上げました。それまでは主にネゴシアンであったため、自社畑は8ヘクタールほどにすぎませんでした。90年代にはクロ・ド・ラ・シャトニエール、デリエール・シェ・エドアール、ミュルジェ・デ・ダン・ド・シャン、クロ・デュ・メ、クロ・デ・ザートの畑を購入、賃貸契約で手に入れました。また、より土壌の特性に合うとしてラ・プランセの区画に植わっていたピノ・ノワールをシャルドネに改植もしました。
 1995年、世界各国でワイン造りとマーケティングを学んだ息子のオリヴィエ氏が、ワイン造りを受け継ぎ、経験を生かした新しい手法で畑から醸造までドメーヌを運営しています。
 今日ではドメーヌは17ヘクタールの畑を所有しており、そのほとんどがAOCワインです。サン・トーバン、ピュリニー・モンラッシェ、サントネ、シャサーニュ・モンラッシェなど…18のアペラシオンから赤・白合わせて毎年10万本ほどのワインを生産しています。
 

 
ユベール・ラミー ~一歩一歩慎重に~
コート・ド・ボーヌはサン・トーバンの醸造家、若干30代のオリヴィエ・ラミーは語ります。
「仕事は、祖父から、そして父から教わった。今日、このドメーヌを所有していることを幸せに思います。」
現在、ラミーの畑は全部で16.75ヘクタールである。しかし、オリヴィエの父、ユベールが引き継いだ頃は5ヘクタールほどの畑に骨を折っていました。
「私の父は、バカンスであっても決して出かけることはありませんでした。高価な自動車を買うことよりも、かたくなにドメーヌの仕事に没頭することを好んだのです。私がドメーヌに戻る95年まで、ステンレスタンクはおろか、わずかな木樽と、30年前の古い圧搾機やトラクターがあるだけでした。畑にも、設備にも、ワイン造りに邁進できるだけの財産はなかったのです。」
オリヴィエ・ラミーにとって“簡単な”ことは何ひとつないことは明白でした。彼はまず、畑の改良から始めました。自分の畑の中でもあまり魅力のない区画を売り払い、サン・トーバン・ルージュの区画に植えられていた野菜などを引き抜き、シャルドネを新たに植えました。
「このアイデアで徐々に品質が向上していき、設備を整えるために十分な価格までボトル価格を引き上げることができた。」
そして1995年になり、ようやく、収穫機、選果台、ステンレスタンク、そして樫樽などを買い揃えたのです。
オリヴィエは、好奇心の強い少年のようであり、また、若手天才醸造家が生まれた世代である。
彼は同世代のニコラ・ロシニョール、ニコラ・ポテル、コント・アルマンのベンジャミン・ルルーらと頻繁に試飲やディスカッションなどを行っています。
白ワインのエルヴァージュ(樽熟成)においても彼はクラシックな228リットルの樽ではなく、350リットルと600リットルの樽を用います。畑においても同様で、“自然な”栽培で進化を続けています。また、1ヘクタールあたり10,000の畝をつくり、14,000本という高密度で植樹を試みたりもしています。
「葡萄の根を地中で競争させることで、果実はより小さくなり、果汁がより凝縮するんだ。」とオリヴィエは言います。
今やオリヴィエは、醸造に関しても、栽培に関しても類まれなる技術と知識を習得し、自信を持って言います。「ようやく、自分のやりたいことがわかってきたし、それが出来るようになってきた。やれば出来るんだ!」
Blanc
2014 ピュリニー・モンラッシェ レ・トランプロ
¥8,210  品切中